高塚山の地図

高塚山から見た大普賢岳

高塚山

 山名・標高

 高塚山(たかつかやま) 1363.5m

 日付

 2014年10月19日

 天気

 晴れ時々曇り

「東紀州10マウンテンの会」の10月例会に参加してきました。今回も7年前と同じ、行者還トンネルの東側から登りましたが、実は今日の今日まで下の西原辺りから登ると思っていました。と、云うのは、以前にこの10マウンテンで登った時「今度登るときは下から」と聞いた覚えがあったからです。確か2年前にも、10山の中にこの高塚山が予定に入っていたと思いましたが、悪天候で流れたと記憶しています。それでもよい天気とよいメンバーで、充実満足の山行きができました。10マウンテンの会のみなさん、ありがとうございました。

 

話は違いますが、「東紀州10マウンテンの会」の会長は、三重県立熊野古道センター長も勤めている川端守さんです。結構有名な人だと思っていましたが、今回たまたまパソコンで名前を検索してみたら、相当有名な人だとわかりました。熊野古道の本を何冊か出していて、よく新聞や雑誌のコラムも手掛けているようです。毎回例会が終わってしばらくすると、集合写真やスナップ写真が送られてきますが、一緒にコラムの様な活動報告書が送られます。それがいつ読んでも見事な出来映えで、さすがに本を執筆されるだけあると思っていました。試しに今回のレポをOCRで取り込んでみたら、プリンターのオマケについていたソフトなのに、想像以上にうまくとれたので、このページの一番下で紹介します。一部文字化けをしていて、途中まで直し始めたのですが、そのままでも意味は充分わかり、反って風情があると思い途中からOCRで取り込んだままにしました。いかにOCRの技術が向上したかがわかります。

 

 

きのくに道の駅で前泊

 

フィオルディリージのアリアを聞きながら、

セブンイレブンのざるそばを食べます。

 

 

6時起床

 

 

集合場所の池原公園

 

国道169号線を北上します。

 

行者還トンネルの東口が今回の登山口

 

 

台高山脈が見えます。

 

 

9:42

登山開始

 

論所ノ尾と云う尾根に到着

 

 

 

 

11:05

大峰奥駈道に合流。

ここは一ノ垰(いちのたわ)。

地図では一ノ垰ですが、

会長の解説では一ノ多和です。

意味は会長の解説をご覧ください。

 

 

11:19

小谷林道に折れます。

 

 

 

 

 

 

 

11:55

高塚山は本当はもう30分先ですが、

本日は1418mピークをもってゴールとします。

大普賢岳が真北に見えます。

 

昼食は珍しくカップヌードル

 

 

 

 

 

13:22

会長が断念した一ノ垰まで戻ってきました。

 

 

 

14:31

下山

昨日は集合場所の関係で尾鷲から来ましたが、

帰りは針から名阪国道で帰りました。

 

動画レポ

 

東紀州テンマウンテンの会10月山行

 

一の多和から高塚山   2014・1O・19 参加者33名 川端守

 

尾鷲を午前6時半にスタートして、国道42号を南進する。尾鷲熊野間の高速道路開通後はすっかり交通量が減って、道も道の周囲もひなびた寂しさが漂っている。大又、小又を過ぎて佐田坂の信号で右折、国道169号線を走る。池原公園まで尾鷲から約一時間。受付を済まして、169号線を北上、上北山西原の集落を過ぎて、新天ケ瀬橋の手前で左折して国道309号線(林道行者還線)に入る。ナメコ谷に沿って急な坂道を登る。途中でナメコ谷と分かれて、さらに急な坂道を上る。天川村との境界、標高1,100mの高さに行者還トンネルがある。その手前、東口の駐車場に着く。駐車場というより、トンネル入り口付近の土捨て場跡といえる場所。池原公園から一時間弱。トンネルの上は大峰奥駈道である。
行者還トンネルの完成は1976年(昭和51)の10月。今から38牛前のこと。標高1100m余の所で、1151mの長さで大峰山系に穴を開けた。冬の寒いときの工事ではトンネル内の壁を覆うコンクリートが正常に固まらないで困ったと、工事現場に働いていた山ちゃんが語った。因みに大台スカイラインの開通は1961年(昭和36)3月だから、行者還トンネルよりも十5年も前のこと。その大台山系が谷を隔てて東側に、ゆったりとした姿を秋空の下に見せていた。大台駐車場のあたりから南に伸ぴる稜線。大蛇嵐が東の川に向かって落ち込んでいくのが伯母谷を挟んで間近に見えていた。
吉野から熊野三山に至る大峰奥駈道は山岳宗教の修験者たちの修行の道だが、およそ100kmの道中に75の廃(なぴき)といわれる霊地がある。第58番の行者還りの摩と第57番の一の多和一峠とも、山がたわんでいるところ。峠の語源ともいう。本稿では「一の多和」と表記するが、その二つの摩の中間あたりの下をトンネルが貫いている。
「大峰山はわが国で最も古い歴史をもった山である。この山についての古記録は、枚挙にいとまが.ない。開山は役ノ小角と伝えられる。斉明朝元年(655年)彼は22歳で大峰山の上で苦行したというから、これを登山記録と見れば目本最古であろう。」(深閏久弥「目本百名山」)その大峰山に深田久弥が登ったのはいつか。「目本百名山」の連載が山岳雑誌「山と高原」.に始まったのは、昭和34年(1959年)の3月から。毎月二座の掲載で50回の連載だった。手元に資料がないので確定的なことがいえないのだが、昭和30年代の後半のある年、4月の中旬まだ扉開きの前に山麓の洞川をスタートした。案内は泉州山岳会の伸西政一郎さん。山上ケ岳に登り、夕方遅くに弥山の山小屋に着いたというから、一の多和のあたりを、四月半ぱの夕方に、深岡久弥は歩いていった。「大普賢屠から行者還岳までの間は、縦走路の中で最も険峻とされている」と記しているが、一の多和のあたりについては全く記さない。迫り来る夕暮れの中を仲西さんと二人で、懸命に歩いていたのであろう。
「翌朝、残雪を踏んで八経ケ岳の頂上へ登った。一九一五米、近畿の最高地点である。空はよく晴れ、大峰}脈の諸峰をはっきりと望んだ。ここからさらに南へ縦走路は艇々とつづくが、私はその最高峰を踏んだことに満足して山を下った。」

行者還岳トンネルの西口ゐほうが東口よりも弥山・八経ケ岳に近いので、多く.の登山者は西口からのルートで登る。私たちは東口からの登り道がよく整備されていて、歩きやすいので、こちらからの利用が多い。一の多和の周辺の大峰奥駈け道は標高1400m前後のところを上下しているので、トンネル東口からは標高差300r口余を、ほとんど一直線に急勾配で登っていくことになる。33名の参加者がほぼ一列になって葦っていくことに
なる。稜線上の奥駈け道に出るまでの上りがきっかったが、途中で上から下りてくる人に出会った。向こうは下り道なので余裕がある。最初は熟年のご夫婦。西口から登って行者還岳をめざしたが、稜線上の分岐点で道に迷い、東口方面に下りてしまったらしい。せっかく西口から高度を稼いで稜線にて出て、あとは快適な尾根歩きなのに、もったいないこ___…とを」てい局なと心から同情してわかれた。もう一人は写真好きの青年一人。.大きなヵメ、ラを肩から提げて下りてきた。行者還の林道の周辺は紅葉の名所として、ここ'10年ほど
多くの写真愛好家を集めている。林道は、紅葉をねらう多くのカメラマンが列を成しており、車の運行もままならないほどである。私たちの今回の山行も、素敵な「もみじ狩」になることを期待して企画したものだった。この青年は紅葉の状態に詳しい。「今目は紅葉を見るには、少し早いかな」という問いかけに、「時期の問題ではなく、今年は紅葉の状態そのものがよくない。今から紅葉しようという時期になって、大きな台風が二回も.やってきて樹木が紅葉する機会を失ってしまった。そのせいで、木々の葉っぱが、茶褐色に変色してしまって、美しさが出てこない。今牢の紅葉はだめです」との説明。さすが、''紅葉前線を追っかけているマニアだけのことはある。昨夜は行者還の避難小屋に宿泊し、3人だけの泊り客と快適な一夜を過ごしたといって、すたすたと帰っていった。
さて、高塚山へのコースは、途中の1418mの高地で引き返すこととし、三角点のある高塚山の山頂までは道の状態がよくないので割愛した。私たち6人は体調不良等の理由で、一の多和周辺の景観gよいと。ころでリタイアーをして皆さんの往復を待つことにした。奥駈道の脇で休憩してい苛と、時々、山行の人が通過していく。岐阜から来たという30前後の青年が見事なリュヅクで蜆爽と歩いてくる。吉野まで歩くという。スタ㌃トは本宮大杜。初目は玉置山までの急な上り道を歩き、テント泊。行仙の小崖と持経の宿に泊まり、」今骨は行春還の小屋に泊まるという。この人は完壁な奥駈縦走者といえる。歩く姿も軽やかで、見事な人であった。「気をつけて」と見送ったが、さっさと過ぎていった。皆さん牟帰ってきたころ、行者姿の白装束の若者が大きなほら貝を吹きながら現れた。吉野の桜本坊に雇われていると、微妙な言い方をしたが、私たちのために、ほら貝を吹いて.、旅の安全を祈願してくれた。気さくな、気持ちのよい青年だった。
旅人や行者らしい人たちが、順峰道・逆峰道を通り過ぎていったが、ふと上・を眺めると一羽のチョウチョウが飛んでいる。それは紛れもなくアサギマダラである。標高13qO㎜余の大峰奥駈道の上を飛ぶそれは、やがて海を越えて、沖縄へ、台湾を越えて南の島まで行くのであろう。八経ケ岳(1914,9m)、弥山(1,819㎜)、鉄山(1563m)の峰々の連なりを借景にして、アサギマダラは悠々と飛翔していた。

 

以上、高塚山のレポでした・・・・

 

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